前々回の“行政書士試験の憲法(信教の自由1)”では“剣道実技拒否事件”について書きました。判例では、信教の自由と教育の自由について公共の福祉による調整がなされました。
今回は、教育の自由を含めた“学問の自由”について書きたいと思います。
| 学問の自由の中身は?
学問の自由は、真理探究を国家が圧迫したり干渉したりできない権利です。憲法ではこのように書かれています。
憲法 23条
学問の自由は、これを保障する。
簡潔ですね。実は、学問の自由が憲法で規定されている国は少ないと言われています。明治憲法下で度々行われた学問の自由への侵害の反省から、日本国憲法に規定されたそうです。京大滝川教授の滝川事件や美濃部達吉先生の天皇機関説事件ですね。
学問の自由は、個人としての真理探究の自由だけでなく、学校、特に大学での学問の自由を定めているとされています。学問の自由には次の3つがあります。
1 学問研究の自由
学問の自由の中心的な存在です。真理探究ですね。絶対的に保障される思想・良心の自由の一部です。
2 研究発表の自由
真理探究によって得られた情報を発表する自由です。研究した内容を世の中に説明する権利ですね。
3 教授の自由
学校で教育をする自由です。自ら研究した内容でもいいですし、他人が研究した内容でも構いません。何らかの情報を他人に教える権利です。
| 下級教育機関と高等教育機関
教育をする場としての教育機関は、大きく2つに分けられます。小中学校や高等学校などの下級教育機関と、大学や大学院などの高等教育機関です。
下級教育機関と高等教育機関では教育の目的が異なりますから、教授の自由についても差が生じます。高等教育機関では研究内容を巨樹することが目的ですから完全な教育の自由が認められます。この教育の自由を守るために大学には自治が認められています(大学の自治)。東大ポポロ事件(最大判昭48・3・22)が有名ですね。
1 東大ポポロ事件(最大判昭48・3・22)
東大のキャンパスでポポロ劇団が上演している最中に観客の学生が私服警察官を発見しました。学生らは私服警察官の警察手帳を奪ったり暴行を加えたりしましたので、学生らは暴行罪で起訴されました。学生らは大学の自治への侵害だと主張したところ、最高裁は学生の集会が真に学問研究のものではなく政治的活動にあたる場合には、警察官が大学内に立ち入っても大学の自治や学問の自由を侵害するものではないと判断しました。
実際のところ、ポポロ劇団は政治的な演劇を上演し、観劇していた学生らも政治的な意図で集まっていたんですね。ですから、私服警察官に過剰な反応をしたのでしょう。
2 旭川学力テスト事件(最判昭51・5・21)
文部省が全国中学校一斉学力調査を実施したところ、全国の教員の組合が反対運動をおこし、旭川市の小学校では労組役員らが実力で学力調査の実施を阻止しました。教員らは建造物侵入、公務執行妨害、暴行罪などで起訴されました。学力テストは国が教育へ不当に介入する行為で教育統制だと主張したところ、最高裁は、学力テストの実施は適法だが、教師にも一定の教育の自由があるので、その部分への国家の介入は許されないと判断しました。
下級教育機関においても一定の教育の自由が認められましたが、それは下級教育機関では一定水準の画一的な教育が全国的に行われるべきであると考えられたからでした。指導要綱があり教科書検定があって教育する内容が全国で一律に定められています。ただ、その範囲内では教員は自由に児童・生徒を教育することができるのです。
| 大学の自治って人権?
東大ポポロ事件では“大学の自治”が認められるとさらっと書きましたが、大学の自治とはいったい何なのでしょうか。
教育の自由を守るために大学の自治が認められるとかきましたが、教育(学問)の自由はコア(核)の部分、大学の自治はコア(核)を覆う箱だと考えてください。最も大切なコア(核)を守るために箱があります。箱は少々つぶれてもかまいません。コア(核)が傷つかなければいいのです。このコア(核)と箱の関係を“制度的保障”と言います。
つまり、学問の自由は制度的保障だと言われているのです。大学を制度として保障することでコア(核)の学問の自由を侵害されないようにしています。
同じ関係にあるのは、信教の自由と政教分離原則、両性の平等と婚姻制度、財産権と私有財産制度、地方自治の本旨(住民自治・団体自治)と地方自治制度などで、制度的保障だと言われています(諸説あります)。
| まとめ
1 学問の自由の中心は学問研究の自由!
2 小・中・高と大学では教育の自由の内容が違う!
3 制度的保障は箱とコア(核)の関係!