行政書士試験の憲法(思想・良心の自由)

前々回の“行政書士試験の憲法(新しい人権)”と前回の“行政書士試験の憲法(法の下の平等)”とで総則的な幸福追求権と法の下の平等について書きました。

今回からは具体的な人権を一つ一つ見ていきたいと思います。今回は思想・良心の自由です。

 

 

| 思想・良心の自由は精神的自由権

 

思想・良心の自由は自由権の中の精神的自由権の一つです。自由権には、精神的自由権の他に経済的自由権と人身の自由の3種類があります。

思想・良心の自由は精神的自由権の中でも少し特殊な自由です。まず、条文を見てみましょう。

 

憲法 19条

思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

 

諸外国の中には思想・良心の自由を憲法で規定していない国もあります。思想・良心の自由が絶対的なのは当然のことだからです。では、なぜ日本国憲法には規定されているのでしょうか。

それは、明治憲法には思想・良心の自由が規定されておらず、たびたび特定の思想を反国家的な思想として弾圧してきた歴史があるからです。このような歴史は諸外国でもありますが、日本国憲法の独特な成立過程が反映しているのかもしれませんね。

 

 

| 思想・良心の自由の特殊性

 

思想・良心の自由は絶対的に保障されています。ただ、人権を制約する根拠に“公共の福祉”があります。

 

憲法 12条

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

 

憲法 13条

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 

このように、“常に公共の福祉のためにこれを利用する”とか“公共の福祉に反しない限り、(略)最大の尊重を必要とする”と書かれています。しかし、思想・良心の自由は内心にとどまっている限り公共の福祉によるいかなる制約も受けません。頭の中で考えるだけなら絶対的に自由なのです。

また、どのような思想を持っているのかを表明する必要はありません。問いただされたとしても応える義務はないのです。

思想・良心の自由が侵害されたとして争われた事件に“謝罪広告強制事件(最大判昭31・7・4)があります。

選挙活動中に対立立候補者の汚職を公表した立候補者が、対立立候補者に名誉毀損で訴えられました。裁判所は1審と2審で新聞に謝罪広告を掲載するように命じました。最高裁では、1審と2審を支持して、単に事態の真相を告白し陳謝の意を表明するにとどまる謝罪広告を命じる判決は思想・良心の自由を侵害しないと判断しました。

謝罪広告では、自らの思想を明らかにして謝罪する必要はなく、事態の真相を明らかにして謝罪するだけでよいということです。簡単に言うと、謝罪広告では“私の考えが間違っていました。申し訳ございませんでした”と謝るのではなく、“私は〇〇という資料に基づいて事実として公表しました。ご迷惑をおかけし、お騒がせをして申し訳ございませんでした”と謝るだけでよいということです。

 

 

| まとめ

 

1 思想・良心の自由は公共の福祉の制約なし!

2 思想・良心は外部に表明する必要なし!

3 謝罪広告命令は思想・良心の自由を侵害せず!



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